トゥーランドット
レコ芸難民のための音楽情報の収集方法の話をするつもりですが、その前に脱線(^^;;;。

札幌ススキノの首狩り殺人事件の記事を読んで、「トゥーランドットだなぁ」と思いました(^^;;;。登場人物のスケールに大差はありますが、生首を晒して楽しむところは同じ。変な物語ですね。


第1幕終わりのカラフが謎解き申し込みのドラを叩く場面ですが、こういう具合に、城門の柱の上に、王子たちのちょん切られた首が、飾ってあります。







こちらは、第一幕中程、謎解きに失敗した王子の処刑場面。演出次第ですが、子供達が、ぼんぼりを持って、生首コレクションの横を歩くとか、トゥーランドット姫は巨大な首が展示されている城壁に月に乗って舞い降りるとか、謎を解けなかった王子様は素っ裸にされて刑場に向かうとかなど、凄いですね(^^;;;。


そして、これは二幕二場の冒頭、国王の登場の場面。不思議なのは国王が「カラフに謎解きに挑戦し、命を危うくするのは止めろ」と説得していること。てっきり娘と企んで、周辺の敵になりそうな王子の首を刈り取りまくっているのだと思っていました(^^;;;。
この辺りは札幌の事件と一緒なのですかね。よく分からない。

しかし、コーラスの反応はマスコミにあおられている日本国民の反応といっしょですね。首切りの場面は楽しんでいるのに、餌食のイランの王子には同情してみたり、カラフに無謀なことはやめろと忠告するが、「やっちゃえ」と挑発してみたり。節操の無いことおびただしいです(^^;;;。
ピン、ポン、パンというとぼけた名前の役人達はもっとひどい。日本の国家公務員ということになるのでしょうが、こういう人たちが支えるこの国は大丈夫なのだろうかというレベルですね。結局、リュウはこれら日和見官僚たちの悪あがきで、自害させられてしまいます。

さて、ここからが本題。

トゥーランドットの筋書きは、ご紹介したように、乱暴なストリーだと思いますが、リュウの死までは終始一貫、首尾一環。良くできています。強烈な個性の悪女とそれにひっぱり回される付和雷同の王と役人と国民による喜劇、そして、その中で自刃せざるえなくなったリューの悲劇が同時進行すると見れば、完全に辻褄はあいます。

プッチーニの音楽もそれに合わせて構成されていて素晴らしい。
この曲が初演されたのは1926年です。「春の祭典」や「月に憑かれたピエロ」より後に作曲されています。合唱のシュプレヒシュティンメ的な扱いとか、複調や無調に近い和声、打楽器の効果的な使い方など、当時、最先端の作曲技法を巧く取り入れていると思います。

問題はここから。
プッチーニが完成した音楽はリュウの死の場面までで、その後のトゥーランドットとカラフの対決場面とフィナーレに関して、台本は完成しているが、音楽は36ページのスケッチが残されただけでした。これを元に同時代のイタリアのアルファーノという作曲家が最後の部分を完成しています。
このフィナーレの音楽、トスカニーニが注文をつけ改版していますので、それなりの完成度だと思いますが、違和感は大きいです。
台本も変で、最後はトゥーランドットとカラフが愛の力で結ばれるというハッピーエンドの大団円で終わっています。これじゃ、カラフを守るために死んだリュウの立場はどうなるのだと言いたくなります。


同時代に同じように生首を楽しむオペラ(^^;;;がもう一つあります。リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」です。こちらはオスカー・ワイルドが台本を書いただけあって(正確にはワイルドの戯曲にシュトラウスが勝手に音楽をつけた)、最後は、サロメのストリップダンスに感銘を受け、ヨカナーンの首を贈呈したヘロデ王が、生首に恍惚とするサロメに呆れ果て、殺すという陰惨な物語です。


舞台写真は幕切れ、狂乱のサロメがヨカナーンの首を抱いて突っ立っている。その横に、ヘロデ王の「殺せ」という命を受けた兵士(悪党みたいですが^^;;;)が剣を振り下ろす直前。という場面です。怖いです。
シュトラウスのデビュー作となるオペラですが、台本も音楽も素晴らしい。台本はワイルドの戯曲そのままだから、完璧。シュトラウスはワイルドの戯曲のドイツ語訳そのままる音楽を付けたわけですが、これが正解。冒頭の南国のけだるい雰囲気からサロメが殺される幕切れまで、スリリングなストリーの展開と音楽は素晴らしいです。

サロメの初演は1905年。当然、プッチーニは観たことがあるはずです。同じ生首オペラ。見事なオペラの終幕部分についても良く知っていて、「トゥーランドットの最後も同じレベルにしたい」と考えたのでしょう。ただし、リュウの死で終わる悲劇ではなく、トゥーランドットとカラフの愛が成就するハッピーエンドで。
これが巧くいかなかった。メロドラマの作曲家プッチーニには悪女トゥーランドットを愛に生きる女に変身させる音楽を書けなかったということです。

という訳で、お鉢が回ってきたアルファーノも困ったでしょうね。
最近、トスカニーニによる変更が入る前のアルファーノ補作の初版があることを知りました(廃刊になる直前のレコード芸術6月号「View Points」の情報)。聴いたみたら、プッチーニのトゥーランドット既作部分の書法を無視して、派手な映画音楽風の曲を最後に付けたという感じでした。

この舞台写真がアルファーノの音楽にぴったりのフィナーレですね。


「なるほどねぇ。これじゃ、トスカニーニが文句を付けるのは当たり前だね。」という感想です。トスカニーニがいろいろ注文を付けて、何とか普通のイタリアオペラのスタイルに戻したということでしょう。
呆れたのはレコ芸「View Points」で3人の評論家が皆、アルファーノの初版を絶賛していること。「CDの売り上げに影響与えちゃいけないから、変なことは言えない」というのは理解しますが、きちんとトスカニーニ修正の問題点を指摘し、何故初版を良いのか述べるべきでしょう。こんなことだから、雑誌は廃刊になったのだろうね(まあ、記事のおかげで、ベリオの改定版を聴いてみようという気になったので、レコ芸には大感謝ですが^^;;;)。

トゥーランドットの補作に関する経緯については、ボストンオペラ協会のこのページが詳しく紹介しています。以下、そのページに情報によります。
トゥーランドットの補作としては1926年初演時のトスカニーニ/アルファーノ改定版以外に1982年にロンドン・バービカンで初めて公開されたアルファーノの初版、ベリオが2002年に発表した補作版が主に演奏されています。
アルファーノ初版とベリオ補作版は、それぞれ公開された少し後に補作のトゥーランドットとカラフの二重唱とフィナーレ部分だけがCD化されていて、現在、YoTubeで聴くことが出来ます。

アルファーノ初版 : Puccini: Turandot / Act 3 - "Principessa di morte!"(Josephine Barstow: Opera Finales)

ベリオの補作版 : Turandot - Completed by Luciano Berio - final revised version / Act 3

どちらのCDもDECCAから発売されています。現在は廃盤となり、CDの内容が著作権を持つDECCAによりYouTubeに公開されています。

この二つを聴き比べてみました。
現在主流の抽象的な演出では、断然、ベリオ補作版でしょう。20世紀半ばまでの台本通りの壮大な終幕の演出にはアルファーノ版も使えるでしょうが、アルァーノ版はどちらも、プッチーニの音楽とのつながりが悪いと思います。木に竹を接いだという感じです。プッチーニ音楽は東洋風だから、「竹に木ををつなぐ」ですかね

トゥーランドットは18世紀のカルロ・ゴッツィの戯曲をベースに改版されました。この時、プッチーニ主導でリュウを登場させ、クライマックスで自害させるという変更を行ったようです(詳しい経緯はWikiPediaを参照して下さい)。これが、この作品を簡単に完成出来なくしたわけです。
『リュウの死を見て動揺するトゥーランドットを、謎をといた王子カリフが責めたて、強引にキスする。とたんにトゥーランドットが愛に目覚め、王子の名前を聞き出したのに、国王には「王子の名前は愛」だと告げて、幕切れ』という無理だらけの台本に説得力のある音楽を付けるには相当な技術が必要です。

ベリオはこれをコラージュという彼の得意とする手法を使い、実現した。成功していると思います。

この曲のプッチーニの完成した部分は、コンメディア・デッラルテ風の軽妙な音楽とリュウの悲劇のヴェリスモ音楽が平行し、リュウの死というクライマックスで終わるという構造になっていて、フィナーレ部分が無くても、完成していると言えます。
「従って、リュウの死のあとはクライマックスの興奮を静める音楽でうめ、静かに終わるべし」というのがベリオの主張です。

例えば、アルファーノの補作の開始部分は、三音のオーケストラの強奏の連打で開始され、カリフのトゥーランドットを「死のプリンセスよ!死のプリンセスよ!」という台詞が続きますが、唐突すぎるので、違和感があります。ベリオ補作版ではオーケストラの連打の前に数小節の短い間奏が入ります。これによって、カリフの王女に対する怒りを薄め、その後のキスがしやすくなる(^^)。


キスをした後、ベリオ版ではオーケストラだけで長いコラージュの音楽が入ります。二人の心理の変化を見事に描写しています。


そして、フィナーレの音楽。ベリオ版はアルファーノ版と対照的に静かに終わります。結果、カリフの死と二人の愛がバランスのとれた形で示され、幕を閉じることが出来ます。


この辺りを、実際のオペラ演出の動画で見られないかなと考え、捜したら、ありました。
YouTubeでなく、bilibiliの動画です。なんと中国語の字幕付き(^^;;;。中国のTV放送をそのままアップしたということなのでしょう。演出はレーンホフです。上の舞台写真は全てそれから引用です。

プッチーニ - トゥーランドット ミラノ・スカラ座, 01.05.2015 リッカルド・シャイー

ついでに、アルファーノの現行版(トスカニーニに変更指示されたやつ)。これもbilibiliにありました。2019年7月15日本の新国立劇場の上演です。多分NHK BSで放送されたものでしょう。僕も見た記憶があります。捜せばハードディスクに入っていると思います。


普契尼《???》大野和士指? 2019年?京新国立??

中央、横たわっているのは死んだリュウで、フィナーレ、トゥーランドットが「王子の名前は愛」と歌っている場面。実はこのあと、とんでもないエンディングが待っているのですが、種明かししない方がいいでしょう。

最後にYouTubeにアップロードされていたアルファーノの初版。


Giacomo Puccini - Turandot (Complete version by Franco Alfano)

配役は Turandot - Cristina Piperno, Calaf - Frank Porretta, Liu - Mina Tasca Yamazaki, Orchestra e Coro del Teatro Lirico di Cagliari, Karl Martin - Conductor というところ。カリアリ歌劇場での演奏。ちょっと映像が古いのですが、いつ頃の演奏なのですかね。画面は最後の大合唱部分です。歌っている前をリュウの遺体を乗せた車が通っていくのですが、どういう意味なのですかね。

YouTubeに ベリオ補作版やアルファーノ初版のフィナーレだけであれば、他にもアプロードされたデータはあります。それぞれ、「Turandot Berio」「Turandot Alfano」をキーワードにして検索すればぞろぞろ出てきますので、紹介は省略します。

アルファーノ版のトゥーランドットが完全な形でCD化されたのは今回のパッパーノ指揮の演奏が初めてのようですが、YouTubeでは10年以上前からアップロードされていて、いくらでも聴けたということでした。検索のこつはキーワードを全部英語にすること。残念ながら、日本語だと出てきません。

プッチーニがオペラの題材選びに参考にしたといわれるブゾーニのトゥーランドットもYouTubeで聴くことが出来ます。ブゾーニ版のトゥーランドットは原作のゴッツィの戯曲のドイツ語訳をそのまま使っていて、リュウは登場しません。ピン、ポン、パンの役柄や名前も変わっています。こちらはよりコンパクト。最後の場面もプッチーニ台本のように無理な展開でなく、シンプルで納得のいく展開になっています。
ドイツ語の歌詞で歌われ、イタリア語の字幕が付いています(^^;;;。「ドイツ語もイタリア語も駄目な私はどうすればいいの」といわれそうですが、ちゃんと救いの神がいます。
「オペラ対訳プロジェクト」で対訳済です。こんなマイナーな作品まで対訳完了とはビックリしました。オペラマニアの集まったプロジェクトですが、凄いパワーですね。

スコア(ピアノ譜)もあります。

ここ Ferruccio Busoni: "Turandot" (Wexford, 1988)がYouTube動画です。

こういう場合、Windows11 3台ディスプレイ環境が必須ですね。3台のディスプレを駆使して、17インチに台本を、27インチにスコアを、32インチにYouTube画面を表示させて鑑賞しました。


プッチーニにも同じような場面がありますが、死刑執行人が問いに答えられなかった王子をつれて来たところです。画面上に一杯生首がぶら下がっています。

比較して聴くと、リュウを加えたプッチーニ翻案の素晴らしさがよく分かります。ブゾーニも悪くはないのですが、札幌の殺人事件のように(^^;;;、小さな世界でまとまっています。リュウの自己犠牲というクライマックスを伴うプッチーニの世界の広がりとは比較にならないです。課題はリュウ自害の後のトゥーランドットとカラフがどのように愛するようになるか。となれば、ベリオ補作版以外の解はないでしょう。

プッチーニは「50年後に、自己主張を捨てた作曲家が、これらのスケッチをもとに、最後の30分間を書き上げてくれるだろう」と書き残しているようです。ベリオ補作版こそそれでしょう。予言は四半世紀程ずれましたが、あたったようです。
2023.08.20 21:03 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 音楽 | com.gif コメント (0)

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