『レコ芸』難民のために 2
ここ(クラシック音楽雑誌・発行部数ランキング)にクラシック関連の様々な音楽雑誌が紹介され、発行部数が掲示されています。情報のソースは不明ですが、記事の公開は2020年2月(コロナ騒動の開始直前)です。この時のレコ芸の発行部数が10万部。部数は音楽の友(2位)、MOSTLY CLASSIC(4位)と同じで、ランキングは第3位です。この情報を信用すると、コロナ直前まではなんとかやっていたが、コロナで部数が激減。雑誌として存続することが出来なくなったことになります。
「レコ芸が何故休刊になったか」というインタビューで音楽の友社の役員が「最盛期の発行部数は10万部」といっています。最盛期というのは1990年代、インタネット登場前、CD全盛の時代だったと思います。とすると、2000年代に入り、インタネットとスマホの普及により、配信やストリーミングが当たり前となり、CDで音楽を聴かない人が増え、雑誌の発行部数が徐々に減少し、損益が悪化。そして、最後のとどめ、コロナの直撃で雑誌の売り上げが大幅に減少し、それが廃刊の引き金になったということでしょう。しかし、コロナによる経済環境の激変の2年間、全く対応がされていないのは何故か。
手持ちのコロナ発生後の2年分の雑誌を見直してみましたが、この間、編集方針の変更は行われていません。コロナで劇的に部数が減っていく中、「座して死を待ち、敗戦を迎えた」ということなのでしょうか。
先のインタビュー記事で「レコ芸の最近の発行部数は2万部に落ち込んだ」と紹介されています。「結構な部数を維持出来ていたのだなぁ」と思いました。
同じように最近廃刊となった週間朝日の発行部数も2万部でした。雑誌の値段、規模、広がりから見て、週間朝日が廃刊になったとのは当然だと思います。しかし、レコ芸は一桁高い値段なのだから、週間朝日と同じ数の読者がいるのなら、継続させる方法はあったはずです。
まあ、この件はまた改めて論じたいと思います。
前回のトゥーランドットの記事に書いたように、レコ芸が役に立ったのは情報の提供です。アルファーノ初版の演奏はインタネットに10年位前からアップされていたようですが、このオペラに強い興味があるわけではないので、気がつきませんでした。
レコード芸術6月号「View Points」の情報のおかげで、ベリオ補作を含めて聴き比べ出来て、改めてベリオの作曲家としての凄さを認識しました。
このようにレコ芸のクラシック音楽情報誌としての役割は大きかったと思います。
という次第で、レコ芸難民、インタネットの海の中で、どうやって情報を捜すか。
僕が、最近、愛用しているクラシック音楽情報に関するサイトをご紹介します。
イギリスのレコード雑誌の老舗、Gramophone のサイトです。興味深い情報がリアルタイムに提供されていますので、必読ですね。
ビックリしたのは雑誌の購読者数2015年で2万5千人程度であること。年間の購読料は125ポンドですからレコ芸並。それでも廃刊にならず、続いているわけだから、「レコ芸は何故廃刊なのだ」といいたくなりますね。
イギリスBBCのクラシック音楽情報サイトです。プロムスの広報に熱心なのには閉口しますが、それ以外の内容は素晴らしいです。画面トップ記事の「13 of the world’s best choirs」は The Sixteen や The Tallis Scholars も入っていて、ルネサンス、中世専門の合唱団もしっかり紹介されています。ちょっとイギリス偏重気味ではありますが、まあ仕方がないですね。雑誌の発行部数は3万7千部、年間の購読料が50ドルだそうです。
フランスのクラシック音楽専門雑誌。そのままでは手も足も出ないので(^^;;;、グーグル機能で自動翻訳させています。酷い訳だと思いますが、内容は推察できます。サイトに掲載される情報は興味深いものが多いです。雑誌の発行部数は2万5千部、値段は8ユーロ。
Musicalchairsという名前のイギリスのクラシック音楽関連のリクルート(求人情報)サイトです。20年以上の歴史があり、クラシック音楽関連ニュースに関する情報も提供していて、上記画面がその見出しページ。情報は頻繁に更新されます。興味のあるものを選んでみています。リクルート情報誌ですので、そちらでビジネスを成立させていますから、音楽情報の提供は本業の助けということでしょう。
Harmonia Mundi のサイトです。同社録音のCD紹介が中心です。僕には面白い情報が多いので、愛用しています。ディフォルトはフランス語ですが、画面右上で言語は選択できます。
欧米録音レーベルの会社のサイトについてはこちらのリンクが強力ですので、お勧めします。リンク切れも多いですが、数が凄いです。
「ぶらあぼ」は日本の音楽(演奏会)情報誌のサイトです。雑誌は実質無料で配布されていて、インタネットで、全て読むことが出来ます。サイトでは雑誌の情報に加えて、ドメスティックな情報が中心ですが、演奏家、放送、国内の配信、ストリーム情報の情報などあります。日本語なのは助かります(^^;;;。
以上のサイトと、前々回、紹介したCD取り扱い会社のサイトを定期的に訪問すれば、レコ芸レベルの情報は十分まかなえます。
今回、海外のクラシック音楽雑誌のサイトを調べて意外だったのは発行部数です。どれも2万部から4万部の範囲内です。これで経営的には成り立っているようですから、「レコ芸は何故廃刊になったのだ !」という謎は残ります。
ここ(株式会社 HRKS)に、様々な雑誌の発行部数の数字があります。とても面白いのですが、コメントし始めると、きりがないので、別の記事にすることします。
このブログのサイド画面トップに「レコ芸難民救済のためのリンク集」作ってみますかね(^^;;;。
「レコ芸が何故休刊になったか」というインタビューで音楽の友社の役員が「最盛期の発行部数は10万部」といっています。最盛期というのは1990年代、インタネット登場前、CD全盛の時代だったと思います。とすると、2000年代に入り、インタネットとスマホの普及により、配信やストリーミングが当たり前となり、CDで音楽を聴かない人が増え、雑誌の発行部数が徐々に減少し、損益が悪化。そして、最後のとどめ、コロナの直撃で雑誌の売り上げが大幅に減少し、それが廃刊の引き金になったということでしょう。しかし、コロナによる経済環境の激変の2年間、全く対応がされていないのは何故か。
手持ちのコロナ発生後の2年分の雑誌を見直してみましたが、この間、編集方針の変更は行われていません。コロナで劇的に部数が減っていく中、「座して死を待ち、敗戦を迎えた」ということなのでしょうか。
先のインタビュー記事で「レコ芸の最近の発行部数は2万部に落ち込んだ」と紹介されています。「結構な部数を維持出来ていたのだなぁ」と思いました。
同じように最近廃刊となった週間朝日の発行部数も2万部でした。雑誌の値段、規模、広がりから見て、週間朝日が廃刊になったとのは当然だと思います。しかし、レコ芸は一桁高い値段なのだから、週間朝日と同じ数の読者がいるのなら、継続させる方法はあったはずです。
まあ、この件はまた改めて論じたいと思います。
前回のトゥーランドットの記事に書いたように、レコ芸が役に立ったのは情報の提供です。アルファーノ初版の演奏はインタネットに10年位前からアップされていたようですが、このオペラに強い興味があるわけではないので、気がつきませんでした。
レコード芸術6月号「View Points」の情報のおかげで、ベリオ補作を含めて聴き比べ出来て、改めてベリオの作曲家としての凄さを認識しました。
このようにレコ芸のクラシック音楽情報誌としての役割は大きかったと思います。
という次第で、レコ芸難民、インタネットの海の中で、どうやって情報を捜すか。
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イギリスのレコード雑誌の老舗、Gramophone のサイトです。興味深い情報がリアルタイムに提供されていますので、必読ですね。
ビックリしたのは雑誌の購読者数2015年で2万5千人程度であること。年間の購読料は125ポンドですからレコ芸並。それでも廃刊にならず、続いているわけだから、「レコ芸は何故廃刊なのだ」といいたくなりますね。
イギリスBBCのクラシック音楽情報サイトです。プロムスの広報に熱心なのには閉口しますが、それ以外の内容は素晴らしいです。画面トップ記事の「13 of the world’s best choirs」は The Sixteen や The Tallis Scholars も入っていて、ルネサンス、中世専門の合唱団もしっかり紹介されています。ちょっとイギリス偏重気味ではありますが、まあ仕方がないですね。雑誌の発行部数は3万7千部、年間の購読料が50ドルだそうです。
フランスのクラシック音楽専門雑誌。そのままでは手も足も出ないので(^^;;;、グーグル機能で自動翻訳させています。酷い訳だと思いますが、内容は推察できます。サイトに掲載される情報は興味深いものが多いです。雑誌の発行部数は2万5千部、値段は8ユーロ。
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トゥーランドット
レコ芸難民のための音楽情報の収集方法の話をするつもりですが、その前に脱線(^^;;;。
札幌ススキノの首狩り殺人事件の記事を読んで、「トゥーランドットだなぁ」と思いました(^^;;;。登場人物のスケールに大差はありますが、生首を晒して楽しむところは同じ。変な物語ですね。
第1幕終わりのカラフが謎解き申し込みのドラを叩く場面ですが、こういう具合に、城門の柱の上に、王子たちのちょん切られた首が、飾ってあります。
こちらは、第一幕中程、謎解きに失敗した王子の処刑場面。演出次第ですが、子供達が、ぼんぼりを持って、生首コレクションの横を歩くとか、トゥーランドット姫は巨大な首が展示されている城壁に月に乗って舞い降りるとか、謎を解けなかった王子様は素っ裸にされて刑場に向かうとかなど、凄いですね(^^;;;。
そして、これは二幕二場の冒頭、国王の登場の場面。不思議なのは国王が「カラフに謎解きに挑戦し、命を危うくするのは止めろ」と説得していること。てっきり娘と企んで、周辺の敵になりそうな王子の首を刈り取りまくっているのだと思っていました(^^;;;。
この辺りは札幌の事件と一緒なのですかね。よく分からない。
しかし、コーラスの反応はマスコミにあおられている日本国民の反応といっしょですね。首切りの場面は楽しんでいるのに、餌食のイランの王子には同情してみたり、カラフに無謀なことはやめろと忠告するが、「やっちゃえ」と挑発してみたり。節操の無いことおびただしいです(^^;;;。
ピン、ポン、パンというとぼけた名前の役人達はもっとひどい。日本の国家公務員ということになるのでしょうが、こういう人たちが支えるこの国は大丈夫なのだろうかというレベルですね。結局、リュウはこれら日和見官僚たちの悪あがきで、自害させられてしまいます。
さて、ここからが本題。
トゥーランドットの筋書きは、ご紹介したように、乱暴なストリーだと思いますが、リュウの死までは終始一貫、首尾一環。良くできています。強烈な個性の悪女とそれにひっぱり回される付和雷同の王と役人と国民による喜劇、そして、その中で自刃せざるえなくなったリューの悲劇が同時進行すると見れば、完全に辻褄はあいます。
プッチーニの音楽もそれに合わせて構成されていて素晴らしい。
この曲が初演されたのは1926年です。「春の祭典」や「月に憑かれたピエロ」より後に作曲されています。合唱のシュプレヒシュティンメ的な扱いとか、複調や無調に近い和声、打楽器の効果的な使い方など、当時、最先端の作曲技法を巧く取り入れていると思います。
問題はここから。
プッチーニが完成した音楽はリュウの死の場面までで、その後のトゥーランドットとカラフの対決場面とフィナーレに関して、台本は完成しているが、音楽は36ページのスケッチが残されただけでした。これを元に同時代のイタリアのアルファーノという作曲家が最後の部分を完成しています。
このフィナーレの音楽、トスカニーニが注文をつけ改版していますので、それなりの完成度だと思いますが、違和感は大きいです。
台本も変で、最後はトゥーランドットとカラフが愛の力で結ばれるというハッピーエンドの大団円で終わっています。これじゃ、カラフを守るために死んだリュウの立場はどうなるのだと言いたくなります。
同時代に同じように生首を楽しむオペラ(^^;;;がもう一つあります。リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」です。こちらはオスカー・ワイルドが台本を書いただけあって(正確にはワイルドの戯曲にシュトラウスが勝手に音楽をつけた)、最後は、サロメのストリップダンスに感銘を受け、ヨカナーンの首を贈呈したヘロデ王が、生首に恍惚とするサロメに呆れ果て、殺すという陰惨な物語です。
舞台写真は幕切れ、狂乱のサロメがヨカナーンの首を抱いて突っ立っている。その横に、ヘロデ王の「殺せ」という命を受けた兵士(悪党みたいですが^^;;;)が剣を振り下ろす直前。という場面です。怖いです。
シュトラウスのデビュー作となるオペラですが、台本も音楽も素晴らしい。台本はワイルドの戯曲そのままだから、完璧。シュトラウスはワイルドの戯曲のドイツ語訳そのままる音楽を付けたわけですが、これが正解。冒頭の南国のけだるい雰囲気からサロメが殺される幕切れまで、スリリングなストリーの展開と音楽は素晴らしいです。
サロメの初演は1905年。当然、プッチーニは観たことがあるはずです。同じ生首オペラ。見事なオペラの終幕部分についても良く知っていて、「トゥーランドットの最後も同じレベルにしたい」と考えたのでしょう。ただし、リュウの死で終わる悲劇ではなく、トゥーランドットとカラフの愛が成就するハッピーエンドで。
これが巧くいかなかった。メロドラマの作曲家プッチーニには悪女トゥーランドットを愛に生きる女に変身させる音楽を書けなかったということです。
という訳で、お鉢が回ってきたアルファーノも困ったでしょうね。
最近、トスカニーニによる変更が入る前のアルファーノ補作の初版があることを知りました(廃刊になる直前のレコード芸術6月号「View Points」の情報)。聴いたみたら、プッチーニのトゥーランドット既作部分の書法を無視して、派手な映画音楽風の曲を最後に付けたという感じでした。
この舞台写真がアルファーノの音楽にぴったりのフィナーレですね。
「なるほどねぇ。これじゃ、トスカニーニが文句を付けるのは当たり前だね。」という感想です。トスカニーニがいろいろ注文を付けて、何とか普通のイタリアオペラのスタイルに戻したということでしょう。
呆れたのはレコ芸「View Points」で3人の評論家が皆、アルファーノの初版を絶賛していること。「CDの売り上げに影響与えちゃいけないから、変なことは言えない」というのは理解しますが、きちんとトスカニーニ修正の問題点を指摘し、何故初版を良いのか述べるべきでしょう。こんなことだから、雑誌は廃刊になったのだろうね(まあ、記事のおかげで、ベリオの改定版を聴いてみようという気になったので、レコ芸には大感謝ですが^^;;;)。
トゥーランドットの補作に関する経緯については、ボストンオペラ協会のこのページが詳しく紹介しています。以下、そのページに情報によります。
トゥーランドットの補作としては1926年初演時のトスカニーニ/アルファーノ改定版以外に1982年にロンドン・バービカンで初めて公開されたアルファーノの初版、ベリオが2002年に発表した補作版が主に演奏されています。
アルファーノ初版とベリオ補作版は、それぞれ公開された少し後に補作のトゥーランドットとカラフの二重唱とフィナーレ部分だけがCD化されていて、現在、YoTubeで聴くことが出来ます。
アルファーノ初版 : Puccini: Turandot / Act 3 - "Principessa di morte!"(Josephine Barstow: Opera Finales)
ベリオの補作版 : Turandot - Completed by Luciano Berio - final revised version / Act 3
どちらのCDもDECCAから発売されています。現在は廃盤となり、CDの内容が著作権を持つDECCAによりYouTubeに公開されています。
この二つを聴き比べてみました。
現在主流の抽象的な演出では、断然、ベリオ補作版でしょう。20世紀半ばまでの台本通りの壮大な終幕の演出にはアルファーノ版も使えるでしょうが、アルァーノ版はどちらも、プッチーニの音楽とのつながりが悪いと思います。木に竹を接いだという感じです。プッチーニ音楽は東洋風だから、「竹に木ををつなぐ」ですかね
トゥーランドットは18世紀のカルロ・ゴッツィの戯曲をベースに改版されました。この時、プッチーニ主導でリュウを登場させ、クライマックスで自害させるという変更を行ったようです(詳しい経緯はWikiPediaを参照して下さい)。これが、この作品を簡単に完成出来なくしたわけです。
『リュウの死を見て動揺するトゥーランドットを、謎をといた王子カリフが責めたて、強引にキスする。とたんにトゥーランドットが愛に目覚め、王子の名前を聞き出したのに、国王には「王子の名前は愛」だと告げて、幕切れ』という無理だらけの台本に説得力のある音楽を付けるには相当な技術が必要です。
ベリオはこれをコラージュという彼の得意とする手法を使い、実現した。成功していると思います。
この曲のプッチーニの完成した部分は、コンメディア・デッラルテ風の軽妙な音楽とリュウの悲劇のヴェリスモ音楽が平行し、リュウの死というクライマックスで終わるという構造になっていて、フィナーレ部分が無くても、完成していると言えます。
「従って、リュウの死のあとはクライマックスの興奮を静める音楽でうめ、静かに終わるべし」というのがベリオの主張です。
例えば、アルファーノの補作の開始部分は、三音のオーケストラの強奏の連打で開始され、カリフのトゥーランドットを「死のプリンセスよ!死のプリンセスよ!」という台詞が続きますが、唐突すぎるので、違和感があります。ベリオ補作版ではオーケストラの連打の前に数小節の短い間奏が入ります。これによって、カリフの王女に対する怒りを薄め、その後のキスがしやすくなる(^^)。
キスをした後、ベリオ版ではオーケストラだけで長いコラージュの音楽が入ります。二人の心理の変化を見事に描写しています。
そして、フィナーレの音楽。ベリオ版はアルファーノ版と対照的に静かに終わります。結果、カリフの死と二人の愛がバランスのとれた形で示され、幕を閉じることが出来ます。
この辺りを、実際のオペラ演出の動画で見られないかなと考え、捜したら、ありました。
YouTubeでなく、bilibiliの動画です。なんと中国語の字幕付き(^^;;;。中国のTV放送をそのままアップしたということなのでしょう。演出はレーンホフです。上の舞台写真は全てそれから引用です。
プッチーニ - トゥーランドット ミラノ・スカラ座, 01.05.2015 リッカルド・シャイー
ついでに、アルファーノの現行版(トスカニーニに変更指示されたやつ)。これもbilibiliにありました。2019年7月15日本の新国立劇場の上演です。多分NHK BSで放送されたものでしょう。僕も見た記憶があります。捜せばハードディスクに入っていると思います。
普契尼《???》大野和士指? 2019年?京新国立??
中央、横たわっているのは死んだリュウで、フィナーレ、トゥーランドットが「王子の名前は愛」と歌っている場面。実はこのあと、とんでもないエンディングが待っているのですが、種明かししない方がいいでしょう。
最後にYouTubeにアップロードされていたアルファーノの初版。
Giacomo Puccini - Turandot (Complete version by Franco Alfano)
配役は Turandot - Cristina Piperno, Calaf - Frank Porretta, Liu - Mina Tasca Yamazaki, Orchestra e Coro del Teatro Lirico di Cagliari, Karl Martin - Conductor というところ。カリアリ歌劇場での演奏。ちょっと映像が古いのですが、いつ頃の演奏なのですかね。画面は最後の大合唱部分です。歌っている前をリュウの遺体を乗せた車が通っていくのですが、どういう意味なのですかね。
YouTubeに ベリオ補作版やアルファーノ初版のフィナーレだけであれば、他にもアプロードされたデータはあります。それぞれ、「Turandot Berio」「Turandot Alfano」をキーワードにして検索すればぞろぞろ出てきますので、紹介は省略します。
アルファーノ版のトゥーランドットが完全な形でCD化されたのは今回のパッパーノ指揮の演奏が初めてのようですが、YouTubeでは10年以上前からアップロードされていて、いくらでも聴けたということでした。検索のこつはキーワードを全部英語にすること。残念ながら、日本語だと出てきません。
プッチーニがオペラの題材選びに参考にしたといわれるブゾーニのトゥーランドットもYouTubeで聴くことが出来ます。ブゾーニ版のトゥーランドットは原作のゴッツィの戯曲のドイツ語訳をそのまま使っていて、リュウは登場しません。ピン、ポン、パンの役柄や名前も変わっています。こちらはよりコンパクト。最後の場面もプッチーニ台本のように無理な展開でなく、シンプルで納得のいく展開になっています。
ドイツ語の歌詞で歌われ、イタリア語の字幕が付いています(^^;;;。「ドイツ語もイタリア語も駄目な私はどうすればいいの」といわれそうですが、ちゃんと救いの神がいます。
「オペラ対訳プロジェクト」で対訳済です。こんなマイナーな作品まで対訳完了とはビックリしました。オペラマニアの集まったプロジェクトですが、凄いパワーですね。
スコア(ピアノ譜)もあります。
ここ Ferruccio Busoni: "Turandot" (Wexford, 1988)がYouTube動画です。
こういう場合、Windows11 3台ディスプレイ環境が必須ですね。3台のディスプレを駆使して、17インチに台本を、27インチにスコアを、32インチにYouTube画面を表示させて鑑賞しました。
プッチーニにも同じような場面がありますが、死刑執行人が問いに答えられなかった王子をつれて来たところです。画面上に一杯生首がぶら下がっています。
比較して聴くと、リュウを加えたプッチーニ翻案の素晴らしさがよく分かります。ブゾーニも悪くはないのですが、札幌の殺人事件のように(^^;;;、小さな世界でまとまっています。リュウの自己犠牲というクライマックスを伴うプッチーニの世界の広がりとは比較にならないです。課題はリュウ自害の後のトゥーランドットとカラフがどのように愛するようになるか。となれば、ベリオ補作版以外の解はないでしょう。
プッチーニは「50年後に、自己主張を捨てた作曲家が、これらのスケッチをもとに、最後の30分間を書き上げてくれるだろう」と書き残しているようです。ベリオ補作版こそそれでしょう。予言は四半世紀程ずれましたが、あたったようです。
札幌ススキノの首狩り殺人事件の記事を読んで、「トゥーランドットだなぁ」と思いました(^^;;;。登場人物のスケールに大差はありますが、生首を晒して楽しむところは同じ。変な物語ですね。
第1幕終わりのカラフが謎解き申し込みのドラを叩く場面ですが、こういう具合に、城門の柱の上に、王子たちのちょん切られた首が、飾ってあります。
こちらは、第一幕中程、謎解きに失敗した王子の処刑場面。演出次第ですが、子供達が、ぼんぼりを持って、生首コレクションの横を歩くとか、トゥーランドット姫は巨大な首が展示されている城壁に月に乗って舞い降りるとか、謎を解けなかった王子様は素っ裸にされて刑場に向かうとかなど、凄いですね(^^;;;。
そして、これは二幕二場の冒頭、国王の登場の場面。不思議なのは国王が「カラフに謎解きに挑戦し、命を危うくするのは止めろ」と説得していること。てっきり娘と企んで、周辺の敵になりそうな王子の首を刈り取りまくっているのだと思っていました(^^;;;。
この辺りは札幌の事件と一緒なのですかね。よく分からない。
しかし、コーラスの反応はマスコミにあおられている日本国民の反応といっしょですね。首切りの場面は楽しんでいるのに、餌食のイランの王子には同情してみたり、カラフに無謀なことはやめろと忠告するが、「やっちゃえ」と挑発してみたり。節操の無いことおびただしいです(^^;;;。
ピン、ポン、パンというとぼけた名前の役人達はもっとひどい。日本の国家公務員ということになるのでしょうが、こういう人たちが支えるこの国は大丈夫なのだろうかというレベルですね。結局、リュウはこれら日和見官僚たちの悪あがきで、自害させられてしまいます。
さて、ここからが本題。
トゥーランドットの筋書きは、ご紹介したように、乱暴なストリーだと思いますが、リュウの死までは終始一貫、首尾一環。良くできています。強烈な個性の悪女とそれにひっぱり回される付和雷同の王と役人と国民による喜劇、そして、その中で自刃せざるえなくなったリューの悲劇が同時進行すると見れば、完全に辻褄はあいます。
プッチーニの音楽もそれに合わせて構成されていて素晴らしい。
この曲が初演されたのは1926年です。「春の祭典」や「月に憑かれたピエロ」より後に作曲されています。合唱のシュプレヒシュティンメ的な扱いとか、複調や無調に近い和声、打楽器の効果的な使い方など、当時、最先端の作曲技法を巧く取り入れていると思います。
問題はここから。
プッチーニが完成した音楽はリュウの死の場面までで、その後のトゥーランドットとカラフの対決場面とフィナーレに関して、台本は完成しているが、音楽は36ページのスケッチが残されただけでした。これを元に同時代のイタリアのアルファーノという作曲家が最後の部分を完成しています。
このフィナーレの音楽、トスカニーニが注文をつけ改版していますので、それなりの完成度だと思いますが、違和感は大きいです。
台本も変で、最後はトゥーランドットとカラフが愛の力で結ばれるというハッピーエンドの大団円で終わっています。これじゃ、カラフを守るために死んだリュウの立場はどうなるのだと言いたくなります。
同時代に同じように生首を楽しむオペラ(^^;;;がもう一つあります。リヒャルト・シュトラウスの「サロメ」です。こちらはオスカー・ワイルドが台本を書いただけあって(正確にはワイルドの戯曲にシュトラウスが勝手に音楽をつけた)、最後は、サロメのストリップダンスに感銘を受け、ヨカナーンの首を贈呈したヘロデ王が、生首に恍惚とするサロメに呆れ果て、殺すという陰惨な物語です。
舞台写真は幕切れ、狂乱のサロメがヨカナーンの首を抱いて突っ立っている。その横に、ヘロデ王の「殺せ」という命を受けた兵士(悪党みたいですが^^;;;)が剣を振り下ろす直前。という場面です。怖いです。
シュトラウスのデビュー作となるオペラですが、台本も音楽も素晴らしい。台本はワイルドの戯曲そのままだから、完璧。シュトラウスはワイルドの戯曲のドイツ語訳そのままる音楽を付けたわけですが、これが正解。冒頭の南国のけだるい雰囲気からサロメが殺される幕切れまで、スリリングなストリーの展開と音楽は素晴らしいです。
サロメの初演は1905年。当然、プッチーニは観たことがあるはずです。同じ生首オペラ。見事なオペラの終幕部分についても良く知っていて、「トゥーランドットの最後も同じレベルにしたい」と考えたのでしょう。ただし、リュウの死で終わる悲劇ではなく、トゥーランドットとカラフの愛が成就するハッピーエンドで。
これが巧くいかなかった。メロドラマの作曲家プッチーニには悪女トゥーランドットを愛に生きる女に変身させる音楽を書けなかったということです。
という訳で、お鉢が回ってきたアルファーノも困ったでしょうね。
最近、トスカニーニによる変更が入る前のアルファーノ補作の初版があることを知りました(廃刊になる直前のレコード芸術6月号「View Points」の情報)。聴いたみたら、プッチーニのトゥーランドット既作部分の書法を無視して、派手な映画音楽風の曲を最後に付けたという感じでした。
この舞台写真がアルファーノの音楽にぴったりのフィナーレですね。
「なるほどねぇ。これじゃ、トスカニーニが文句を付けるのは当たり前だね。」という感想です。トスカニーニがいろいろ注文を付けて、何とか普通のイタリアオペラのスタイルに戻したということでしょう。
呆れたのはレコ芸「View Points」で3人の評論家が皆、アルファーノの初版を絶賛していること。「CDの売り上げに影響与えちゃいけないから、変なことは言えない」というのは理解しますが、きちんとトスカニーニ修正の問題点を指摘し、何故初版を良いのか述べるべきでしょう。こんなことだから、雑誌は廃刊になったのだろうね(まあ、記事のおかげで、ベリオの改定版を聴いてみようという気になったので、レコ芸には大感謝ですが^^;;;)。
トゥーランドットの補作に関する経緯については、ボストンオペラ協会のこのページが詳しく紹介しています。以下、そのページに情報によります。
トゥーランドットの補作としては1926年初演時のトスカニーニ/アルファーノ改定版以外に1982年にロンドン・バービカンで初めて公開されたアルファーノの初版、ベリオが2002年に発表した補作版が主に演奏されています。
アルファーノ初版とベリオ補作版は、それぞれ公開された少し後に補作のトゥーランドットとカラフの二重唱とフィナーレ部分だけがCD化されていて、現在、YoTubeで聴くことが出来ます。
アルファーノ初版 : Puccini: Turandot / Act 3 - "Principessa di morte!"(Josephine Barstow: Opera Finales)
ベリオの補作版 : Turandot - Completed by Luciano Berio - final revised version / Act 3
どちらのCDもDECCAから発売されています。現在は廃盤となり、CDの内容が著作権を持つDECCAによりYouTubeに公開されています。
この二つを聴き比べてみました。
現在主流の抽象的な演出では、断然、ベリオ補作版でしょう。20世紀半ばまでの台本通りの壮大な終幕の演出にはアルファーノ版も使えるでしょうが、アルァーノ版はどちらも、プッチーニの音楽とのつながりが悪いと思います。木に竹を接いだという感じです。プッチーニ音楽は東洋風だから、「竹に木ををつなぐ」ですかね
トゥーランドットは18世紀のカルロ・ゴッツィの戯曲をベースに改版されました。この時、プッチーニ主導でリュウを登場させ、クライマックスで自害させるという変更を行ったようです(詳しい経緯はWikiPediaを参照して下さい)。これが、この作品を簡単に完成出来なくしたわけです。
『リュウの死を見て動揺するトゥーランドットを、謎をといた王子カリフが責めたて、強引にキスする。とたんにトゥーランドットが愛に目覚め、王子の名前を聞き出したのに、国王には「王子の名前は愛」だと告げて、幕切れ』という無理だらけの台本に説得力のある音楽を付けるには相当な技術が必要です。
ベリオはこれをコラージュという彼の得意とする手法を使い、実現した。成功していると思います。
この曲のプッチーニの完成した部分は、コンメディア・デッラルテ風の軽妙な音楽とリュウの悲劇のヴェリスモ音楽が平行し、リュウの死というクライマックスで終わるという構造になっていて、フィナーレ部分が無くても、完成していると言えます。
「従って、リュウの死のあとはクライマックスの興奮を静める音楽でうめ、静かに終わるべし」というのがベリオの主張です。
例えば、アルファーノの補作の開始部分は、三音のオーケストラの強奏の連打で開始され、カリフのトゥーランドットを「死のプリンセスよ!死のプリンセスよ!」という台詞が続きますが、唐突すぎるので、違和感があります。ベリオ補作版ではオーケストラの連打の前に数小節の短い間奏が入ります。これによって、カリフの王女に対する怒りを薄め、その後のキスがしやすくなる(^^)。
キスをした後、ベリオ版ではオーケストラだけで長いコラージュの音楽が入ります。二人の心理の変化を見事に描写しています。
そして、フィナーレの音楽。ベリオ版はアルファーノ版と対照的に静かに終わります。結果、カリフの死と二人の愛がバランスのとれた形で示され、幕を閉じることが出来ます。
この辺りを、実際のオペラ演出の動画で見られないかなと考え、捜したら、ありました。
YouTubeでなく、bilibiliの動画です。なんと中国語の字幕付き(^^;;;。中国のTV放送をそのままアップしたということなのでしょう。演出はレーンホフです。上の舞台写真は全てそれから引用です。
プッチーニ - トゥーランドット ミラノ・スカラ座, 01.05.2015 リッカルド・シャイー
ついでに、アルファーノの現行版(トスカニーニに変更指示されたやつ)。これもbilibiliにありました。2019年7月15日本の新国立劇場の上演です。多分NHK BSで放送されたものでしょう。僕も見た記憶があります。捜せばハードディスクに入っていると思います。
普契尼《???》大野和士指? 2019年?京新国立??
中央、横たわっているのは死んだリュウで、フィナーレ、トゥーランドットが「王子の名前は愛」と歌っている場面。実はこのあと、とんでもないエンディングが待っているのですが、種明かししない方がいいでしょう。
最後にYouTubeにアップロードされていたアルファーノの初版。
Giacomo Puccini - Turandot (Complete version by Franco Alfano)
配役は Turandot - Cristina Piperno, Calaf - Frank Porretta, Liu - Mina Tasca Yamazaki, Orchestra e Coro del Teatro Lirico di Cagliari, Karl Martin - Conductor というところ。カリアリ歌劇場での演奏。ちょっと映像が古いのですが、いつ頃の演奏なのですかね。画面は最後の大合唱部分です。歌っている前をリュウの遺体を乗せた車が通っていくのですが、どういう意味なのですかね。
YouTubeに ベリオ補作版やアルファーノ初版のフィナーレだけであれば、他にもアプロードされたデータはあります。それぞれ、「Turandot Berio」「Turandot Alfano」をキーワードにして検索すればぞろぞろ出てきますので、紹介は省略します。
アルファーノ版のトゥーランドットが完全な形でCD化されたのは今回のパッパーノ指揮の演奏が初めてのようですが、YouTubeでは10年以上前からアップロードされていて、いくらでも聴けたということでした。検索のこつはキーワードを全部英語にすること。残念ながら、日本語だと出てきません。
プッチーニがオペラの題材選びに参考にしたといわれるブゾーニのトゥーランドットもYouTubeで聴くことが出来ます。ブゾーニ版のトゥーランドットは原作のゴッツィの戯曲のドイツ語訳をそのまま使っていて、リュウは登場しません。ピン、ポン、パンの役柄や名前も変わっています。こちらはよりコンパクト。最後の場面もプッチーニ台本のように無理な展開でなく、シンプルで納得のいく展開になっています。
ドイツ語の歌詞で歌われ、イタリア語の字幕が付いています(^^;;;。「ドイツ語もイタリア語も駄目な私はどうすればいいの」といわれそうですが、ちゃんと救いの神がいます。
「オペラ対訳プロジェクト」で対訳済です。こんなマイナーな作品まで対訳完了とはビックリしました。オペラマニアの集まったプロジェクトですが、凄いパワーですね。
スコア(ピアノ譜)もあります。
ここ Ferruccio Busoni: "Turandot" (Wexford, 1988)がYouTube動画です。
こういう場合、Windows11 3台ディスプレイ環境が必須ですね。3台のディスプレを駆使して、17インチに台本を、27インチにスコアを、32インチにYouTube画面を表示させて鑑賞しました。
プッチーニにも同じような場面がありますが、死刑執行人が問いに答えられなかった王子をつれて来たところです。画面上に一杯生首がぶら下がっています。
比較して聴くと、リュウを加えたプッチーニ翻案の素晴らしさがよく分かります。ブゾーニも悪くはないのですが、札幌の殺人事件のように(^^;;;、小さな世界でまとまっています。リュウの自己犠牲というクライマックスを伴うプッチーニの世界の広がりとは比較にならないです。課題はリュウ自害の後のトゥーランドットとカラフがどのように愛するようになるか。となれば、ベリオ補作版以外の解はないでしょう。
プッチーニは「50年後に、自己主張を捨てた作曲家が、これらのスケッチをもとに、最後の30分間を書き上げてくれるだろう」と書き残しているようです。ベリオ補作版こそそれでしょう。予言は四半世紀程ずれましたが、あたったようです。
『レコ芸』難民(^^;;;のために
レコード芸術の最終号(7月号)を入手しました。
結構、手に入れるのに苦労しました。通常20日発売ですが、地元の本屋では25日になっても陳列されません。既に、息絶えたとみなされ、取り扱いされなくなってしまったのですかね。ここのインタネット情報で最終号が発刊されているようだと分かったので、隣の市の本屋まで出張して、getしました。
最終号の特集記事が「はじまりの交響曲--第1番の"挑戦"」でした(^^;;;。
キャプションが凄いです。
いかがでしょうか。もっと早く、この心意気でインタネット時代に対応していれば休刊の日を迎えることは無かったでしょう。
時、既に遅し、『レコ芸』王国が水面下に沈み、難民となった我等、オールドメディア頼みのクラシッシク音楽愛好家はどうすればよいか。『いや、むしろ、みなさん、これからですよ、』なんて、編集部の安請け合いをあてにしても無駄です。紙を捨てて、スマホを片手にインタネットの荒海に船を乗り出すしかないです。
というわけで、『レコ芸』難民がこれからの時代を生き抜くためのリンク集です(^^;;;。
先ずCD新譜情報の入手先。
クラシック売り場を用意しているタワーレコードとHMVのサイトが頼みの綱です。
HMV
このトップページだけで、一通りの最新情報を get 出来るので、よく構成されたページですね。
ご覧のように古楽とか現代音楽の新譜も紹介されています。一覧性ではレコ芸批評欄より使いやすそうです。
タワーレコード
これがトップページです。一通りのインデックスはあるので、使えないことは無いが、「ゴタゴタしているなぁ」という印象です。
これがフェースブックにあるクラシック情報サイト。最新情報はこちらから。しかし、僕の趣味からは遠い情報ばかりですね。
この二社が大手。以下に紹介する海外盤CD情報サイトの物件も全て取り扱っていますので、通常は、この二社を頼りにすれば問題はないでしょう。「いや、俺は店頭で物を見て買わないと気が済まない」という方は自力でお好きなように(^^;;;。
次に海外盤の情報サイト。
naxos
当たり前ですが、naxos以外のレーベルの情報はありません。
キングインターナショナル
トップページに最新の情報がピックアップされ、ニューズで個別の情報も入手できます。ご覧のようにトップにはサバールのモーツアルトレクイエムがフューチャされています。
これはトップページの「ニュース」を選び、「クラシック」を選んだ時のページ。リンクを辿ることで種々の情報を入手できます。
フェースブックのページ。内容は上記のニュースと同じです。
udiscovermusic
ユニバーサルミュージックのクラシック音楽情報ページ。
ここがフェースブックの情報サイトです。
変な表現ですが、メイジャーな海外盤->国内盤の新譜情報を入手できるので、便利です。
東部トレーディングス
海外のマイナー盤や独自企画の国内盤の情報などがあり、必見です。レコ芸の海外盤コーナーのメイジャーな情報源もここだったのではないかと思います。
東京エムプラス
こちらも、東部トレーディング並ぶ、レコ芸情報源の情報サイトです。ここだけはリンク先から直接購入することもできます。
サラバンド
超マニアックなレーベルを取り扱うサイトです。
内容から見て、頻繁に更新されるサイトではありませんが、他のサイトでは無かったレベールを捜すには、使えそうです。サイトの出来はひどく、トップページも満足に表示できません。「お前しろうとか」というレベル。検索機能などもありませんのでが、ブラウザのサイト内検索機能などを使う必要がありそうです。
取り扱い先が限定されますが、一覧がありますので、そこを参照すれば良いでしょう。
注文して待つということになる可能性があります。この場合は次に紹介するアリアを使うのが良さそうです。
次に、ネットで、個人レベルで運用されているCD販売会社です。
raymonda-cd
このサイトは、僕は随分昔に注文した記憶がありますが、多分20年以上続いていると思います。個々のCD盤に丁寧な解説されていることが特徴です。
アリア
こちらは会員制ですが、特殊な海外盤を取り寄せるには使えそうです。
僕が以前利用した時は会費制ではなかったと思いますが、今は会員になるには会費が必要なようですね。まあ、希望する盤を入手するためなら、費用は厭わないだろうから、有りでしょう。
次に、中古盤専門店です。
ファルスタッフ
最近スタートした個人レベルのネット中古CD盤の専門店です。僕は、まだここを使った経験はありませんが、サイトはよく出来ていると思います。
駿河屋
ここは大手。ゲーム、カードなどがメインで、CDはついでにやっているとレベルですが、規模は大きく、クラシック専門のページが有ります。
インタネットでオールドメディアを取り扱うサイトは他にもいろいろあります。とても全部を紹介しきれません。代わりにというわけではないが、素晴らしい内容の音楽用リンク集サイトをご紹介しましょう
MUSIC-STYLE クラシック専門ショップ
クラシックのCDやレコードなど、クラシック音楽専門ショップのwebサイトを紹介。
MUSIC-STYLE クラシック|CLASSIC 総合
クラシック音楽の名盤、音楽家、作曲家、コンサート情報、レビュー等、国内外のクラシック音楽関連の優れたサイトを紹介。
このMUSIC-STYLEという名前の音楽専用リンクサイトは歴史のある、とてもユニークなサイトです。
素晴らしいのはリンクの並びにこのサイトの運営者の評価が入っていることです。
例えば、上記のクラシック専門ショップで「アリア」が先頭に表示されます。これはアイウエオ順ということでは、リンクサイトの運営者がクラシック専門ショップとして「アリア」を一番に評価していることを意味しているようです。また、「国内外のクラシック音楽関連の優れたサイト」としてNAXOSが先頭に来るというのが凄い。「なるほどねぇ」という感想です。
レコ芸難民にとって困るのはこの基準が無くなることですね。レコ芸の批評欄を丁寧に読む人はいなかったと思います。しかし、あの批評欄はレコ芸という雑誌の価値観を示す指標として意味があった。言ってみれば、クラシック音楽世界の羅針盤のようなものだった。同意するかどうかは別として、方向性を定規としての意味は大きかった。
レコ芸が休刊となった今、難民はコンパス無しでクラシックの大海を渡らないといけない。いくらインタネット情報という地図があっても、方向が分からないことにはどこを進めば良いか判断出来ない。
という状況でしょう。それではどうすればよいか。この件は改めて話題にしたいと思っています。
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最終号の特集記事が「はじまりの交響曲--第1番の"挑戦"」でした(^^;;;。
キャプションが凄いです。
『レコード芸術』休刊号の「特集1」は「はじまりの交響曲」である。「休刊号で"はじまり"」とはこれいかに? 何かの冗談? いえいえ「はじまり」にはいつも「覚悟」がある。ここに居並ぶ作曲家たちの、自らが認めた「はじまり= 第1交響曲」の壮絶さを見よ! 自分の「交響曲」はここからですよという心意気の大宣言、それが「第1交響曲」。クラシック音楽だって、「レコ芸」が休刊したからって、終わるわけじゃない。いや、むしろ、みなさん、これからですよ、という気持ちを込めて。大作曲家たちの出発点に、目を凝らす。
いかがでしょうか。もっと早く、この心意気でインタネット時代に対応していれば休刊の日を迎えることは無かったでしょう。
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海外のマイナー盤や独自企画の国内盤の情報などがあり、必見です。レコ芸の海外盤コーナーのメイジャーな情報源もここだったのではないかと思います。
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駿河屋
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MUSIC-STYLE クラシック専門ショップ
クラシックのCDやレコードなど、クラシック音楽専門ショップのwebサイトを紹介。
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クラシック音楽の名盤、音楽家、作曲家、コンサート情報、レビュー等、国内外のクラシック音楽関連の優れたサイトを紹介。
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MUSIC-STYLE(ミュージックスタイル)は、有名サイトから小さな個人ブログまで、知名度や規模には拘らず、管理人自身が出会い惹かれた国内外の音楽に関連するWebサイトを日々コレクションしている、音楽関連サイトリンク集です。2002年の開設以来、多くの方の支えのお陰で、登録サイト数は12.000サイトを超え、音楽専門としては世界最大級にまで成長できました。聴く、見る、奏でる、触れる、知る、学ぶ、教える、広める、買う、売る、共有する・・・音楽への接し方は千差万別ですが、その折々に、みなさんの"MUSIC-STYLE"を、より豊かに、より深く、そして楽しいものにしてくれる素敵なWebサイトと出会える場となることを目指しています。
素晴らしいのはリンクの並びにこのサイトの運営者の評価が入っていることです。
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